アハウラ・コレクション

ハワイアン・レガシー・リフォレステーション・イニシアティブ提供

コレクション

起源

ザ・ゴールデン・

クローク・オ・カメハメハ

on display at the

Four Seasons Hualalai

アフウラ・オ・パーパイアヒアヒ

 on display at the

Kahala Hotel & Resort

アフウラ・オ・ケクハウピオ

on display at the

Hawai‘i Convention Center

過去から未来へ

「アハウラ・オ・カメハメハ・クヌイアケア」

ブルック・カプクニアヒ・パーカー作

イメージをクリックすると、高画質の絵をご覧になることができます。

ハワイでは羽根の衣服は首長だけが身につけることのできる地位の象徴でもありました。アフウラ(ケープ)とマヒオレ(兜)は最も地位の高い首長、「アリイ」だけが着用したもので、贈り物として使われることもありました。

 

 

2013年、アーティストであり、ハワイの歴史家でもあるブルック・カプクニアヒ・パーカーの描いた「アハウラ・オ・カメハメハ・クヌイアケア」という絵画の中でハワイアンの首長達が着用している14のケープのレプリカ製作が始まりました。

 

この精巧な作品は、ハワイ羽根工芸アーティストとして名高いリック・サン・ニコラスの製作によるものです。サン・ニコラス、パーカーともに、カメハメハ王の直系の子孫です。作品はハワイアン・レガシー・リフォレステーション・イニシアティブが特注しました。

 

「コレクションの製作に際し、私はホノルルのビショップ博物館の専門家の助言をいただきました。このプロジェクトを手がけられたのは大変名誉なことですし、ハワイの羽根工芸の大切な継承でもあります。近代以降、このような羽根工芸品は、あったとしても公開されているものはほとんどなく、歴史的にも、ハワイの羽根工芸のケープは世界中でも30点に満たない数しか残っていません。」

 

「HLHとHLRIによる森再生プロジェクトにより、絶滅危惧種も含めたハワイ原生生物の生息環境が蘇りました。この羽根工芸のコレクションは、稀少な森を将来の世代に残そうという私たちの努力とハワイの歴史とを結びつける意味でも重要なものです」と、HLRI会長のジェフ・ダンスターは語りました。

 

ザ・ゴールデン・クローク・オ・カメハメハ

2013年、ハワイアン・レガシー・リフォレステーション・イニシアティブは、羽根工芸再生コレクションの第一弾として、カメハメハ王一世が着用したケープとサッシュ、ヘルメットのレプリカ製作を特注しました。

 

 

この作品はハワイ島のフォーシーズンズ・リゾート・フアラライにおいてプライベートな儀式と祝福が行われた後、受賞歴のある木工芸アーティストであるアラン・ウィルキンソンが特別製作したコアの木製の展示ケースに、ハワイの伝統武器の製作者であるマニー・マットスが製作した稀少なウヒウヒ木製の木の槍とともに展示されています。

 

ケープは長さ60インチ(150cm)あり、25万枚近くの中国キンケイの羽根が使われています。サッシュは、長さ12フィート(約366cm)幅は6インチ(15cm)で、キンケイに加え、両脇にはギンケイの赤みがかったオレンジの羽根が使われています。手織りの兜はすべてキンケイの羽根で作られています。

 

 

「この3点セットの製作には、織り名人やアシスタントチームの準備作業等も入れると、のべ4500時間以上の時間がかかりました」と、製作者のリック・サン・ニコラスは語りました。

See the Golden Cloak o Kamehameha on display at the Four Seasons Resort at Hualalai

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アフウラ・オ・パーパイアヒアヒ

2014年、ハワイアン・レガシー・リフォレステーション・イニシアティブ(HLRI)は、羽根工芸再生プロジェクト第2弾として、ハワイの首長であったケエアウモク・パーパイアヒアヒのケープとヘルメットのレプリカ製作を特注しました。

 

この作品は、2015年9月23日にオアフ島のザ・カハラ・ホテル&リゾートでプライベートな儀式と祝福が行われた後、常設展示されています。

 

ケープは長さ60インチ(150cm)、裾の幅は108インチ(274cm)あり、20万枚のギンケイの羽毛が使われています。

 

「 ケエアウモク・パーパイアヒアヒは、1736年から1834年までの生涯で、カメハメハ大王がハワイ王朝を築いた際に大きく貢献しました。しかし、彼の羽根のケープ全体のデザインがわかる遺物や記録はどこにも残っていませんでした。そこで私は何ヶ月もかけて、ブルック・カプクニアヒ・パーカーの絵に描かれた前面とマッチする後面のデザインについて調査し、ホノルルのビショップ博物館の専門家の助言もいただきました。このプロジェクトを手がけられたのは大変名誉なことですし、ハワイの羽根工芸の継承にとっても大変重要です。 」と、製作者のサン・ニコラスは語りました。

 

See the ‘Ahu‘ula o Papaiahiahi on display at the Kahala Hotel & Resort

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アフウラ・オ・ケクハウピオ

2016年、ハワイアン・レガシー・リフォレステーション・イニシアティブ(HLRI)は、羽根工芸再生プロジェクトの第3弾として、ハワイの首長であったケクハウピオのケープと兜のレプリカの製作を特注しました。

 

ケクハウピオは、カメハメハ王の高等顧問でした。アハ・ウラ(聖なる血統)あるいは同じ血統の王族顧問会の5人のメンバーの中で、ケクハウピオは若い頃のカメハメハ王に、最も大きな影響を及ぼしました。彼は軍事学、格闘技、武器の使用法、系譜学、農業、漁業、身体訓練 など、すべてを教えました。

 

ケクハウピオはマウイ島の王族ピイラニを祖先とするロノホヌアキニの血統で、 カメハメハ大王の叔父にあたります。ケクハウピオは長身ではありませんでしたが、肩幅が広く、大きな手と指を持っていました。握力が非常に強く、動きも稲妻のように敏捷でした。若い頃の戦闘のクム(教師)は彼の抜群の才能を直ちに見抜き、別のクムであり、またルア(戦闘術)の教師であるコアイアの元に送り、そこでさらに高度な技術を学ばせました。何ヶ月かの訓練の後、彼の抜群の強さと知識が知られるようになりましたが、常に謙虚で、クムに敬意を払い続けました。

 

 

ケクハウピオが卒業を迎えようとしていた頃、クムは、彼のアイロロ(儀式を伴う卒業式)で対等に闘える者が誰もいないことに気づきました。コアイアは、ケクハウピオにとって十分な闘い相手となりうるのは、ニウヒ(恐ろしい目を持ったホホジロザメ)だけであり、もしニウヒに勝つことができれば、ケクハウピオは、戦いのニウヒになることができるのだと悟りました。試験の日は、コアイアと戦士の一団がダブルカヌーで海岸から深い海に向かって漕ぎ出しました。餌が用意され、豚肉の腐臭のするしずくがホホジロザメを引き寄せるために水にまかれました。

 

 

サメが現れると、豚肉の束がカヌーの間のポラ(中央のプラットフォーム)から吊るされました。サメが餌を食べている間に、ケクハウピオは水の中に入り、サメを強く抱え込みながら、イヘ・ポコレ(短い刃槍)でサメを刺し始めました。

長い時間が経過してサメが弱ると、コアイアは戦士たちに水に飛び込み、疲れたサメの尻尾を縛るように命じました。サメはポラに引き上げられ、右目はケクハウピオが飲み込むために渡され、左目はアイロロの儀礼としてアクアに献上されました。周囲にいた者はすべて、ケクハウピオの形相が変わり、彼がニウヒになったことを知りました。

 

 

カメハメハは、カラニオプウとカヘキリの戦争を、ケクハウピオと共に戦いました。マウイ島でのこれらの戦闘を通じて、彼は、その勇気と強さで勇名を馳せるようになりました。1776年、マウイでの多くの戦闘の一つで、ケクハウピオはマウイの有名な戦士であるプアの放った2本のイへ槍が刺さって負傷しましたが、槍先がケクハウピオの体の中で壊れ、それを抜き取ることはできませんでした。傷が癒えた後も、槍先は彼の生涯を通して、体内に留まったままでした。

See the ‘Ahu‘ula o Kekūhaupi‘o on display at the Hawai‘i Convention Center

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